鬼はどうして退治される?昔話を考える

先日、子供にこんな質問をされました。
「鬼ってなんで悪者なの?」
CMでも人気俳優が扮する鬼ちゃんはとても悪者には見えません。子供が疑問に思うのも当然かな。

そういわれると、実はよく知らなかったような…。
良い機会なので鬼について調べてみました。



鬼って何?

鬼の語源はいろいろ言われていますが、「姿かたちの見えないもの、この世のものでないもの」という意味を持つ、隠(おぬ)という言葉が転じて鬼(おに)になったという説が。

昔から、鬼は人間の幸・不幸を支配する霊と考えられてきました。自然災害をはじめとするいろいろな不運が続いたとき、昔の人々はそれを何者かの仕業と考えたのです。

中国では、「鬼」という漢字は死者の魂という意味があるそうです。字の成り立ちも、死体を表す象形文字を由来としているんだとか。

人よりもはるかに大きな力を持った目に見えない存在。人間は鬼を災いをもたらすものとして恐れてきました。

もともと見えない存在だったはずの鬼ですが、仏教とかかわるうちに、地獄にいる鬼のイメージから現在知られているように角をはやし、棘のついた棍棒を持った姿で描かれるようになったようです。


元は人間?『酒呑童子(しゅてんどうじ)』という鬼

昔話の中でも、鬼は退治されるべき悪者として登場します。中でも平安時代に伝承されていた古い鬼退治の話といえば、「酒呑童子(しゅてんどうじ)」です。

京の町で若い姫君が次々と姿を消す事件が。高名な陰陽師・安倍晴明が占ったところ、これは大江山に住む酒呑童子という鬼の仕業とわかります。

帝の命を受けて大江山に出かけた源頼光藤原保昌。途中出あった三人の老人(実は石清水八幡、住吉明神、熊野権現の化身)に託された隠れ蓑神酒を使って、見事に鬼を成敗したといいます。

神酒を飲まされて饒舌になった酒呑童子が、自身の身の上をこんな風に語っています。
「俺は越後の生まれで山寺に入れられ、稚児として育てられたが、そこの法師と争って刺し殺してしまい、比叡山へ移り住んだ。」

そうすると、もともと鬼ではなく人間だったものが、いろいろないきさつから鬼になってしまったということでしょうか。乱暴・狼藉を働くものが「鬼の仕業」と考えられたことで、「鬼」そのものと考えれるようになったのかもしれません。

この時にも活躍し、頼光の家来で四天王と呼ばれていたのが、渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武の四人。このうち坂田金時は、あの「金太郎」のモデルとなった人物です。

みんなが知ってる鬼退治のヒーロー『桃太郎』

桃から生まれた桃太郎がおじいさん、おばあさんに育てられ、鬼ヶ島へ鬼退治にでかけます。道中で出会うイヌ、サル、キジにきび団子をあげる代わりに家来とし、鬼を成敗して財宝を持ち帰って帰ってくる話。
誰もが知っている有名なお話ですよね。

ところがこの「桃太郎」の場合、当初のお話の中では、鬼がどんな悪いことをしたから退治されることになったのか、全く触れられていなかったそうです。現在知られているような「鬼が島の鬼が村に出てきて暴れたから」という理由は、実は江戸時代になってから付け足されたものだったとか。

福沢諭吉が子供たちに残した家訓『ひゞのをしへ』の中で、桃太郎をこんな風に語っています。

桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝をとりに行くためだ。けしからんことではないか。宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなくとりに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である。また、もしその鬼が悪者であって世の中に害を成すことがあれば、桃太郎の勇気においてこれを懲らしめることはとても良いことだけれども、宝を獲って家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとなれば、これはただ欲のための行為であり、大変に卑劣である

歴史や伝承は勝者の記録
もしかすると敗者に鬼というレッテルを貼って、武力でねじ伏せたことを正当化しているのかもしれませんね。


さいごに

「悪いもの」や「恐ろしいもの」の代名詞として使われることが多い「鬼」ですが、そんな鬼を祀っている神社も日本に4つほどあるようです。鬼が「人間の幸・不幸を支配する霊」であるならば、不幸だけでなく人間に幸を与えるものでもあるはず。

鬼とは本来、人の心に住んでいるもの。それが不幸を与えるものにならないように、心がけていくことが「鬼退治」なのかもしれませんね。

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