「『篤姫』ってドラマ見てちょっとだけ
調べてみたんだけど、私の誕生日、堀北さんが
演じていた人が死んだ日と一緒だったんだ」
唐突に友人がそんなことを言い始めました。
で、よくよく聞いているとそのドラマを見て
色々と感動したのだが、どうにも
大河ドラマにありがちな脚色があったのでは?
と、まあ、要は、それは本当なのか?と
疑っているということです。
しかし、死んだ日を調べたなら、それが
だれでどんな人だったか、くらい自分で
調べなさいよと思いましたが友人は笑顔です。
「私、そういうの無理!ああ、そうそう
14代将軍とその人が本当に仲良し
だったかも調べておいて!」
そして、丸投げしてよろしく言って
帰っていきました。
おのれ……!ですが、一応、友人の誕生日に
亡くなった過去の人を調べるのは、なかなか
楽しそうだと、乗ってしまう私がいます。
今回は、歴史に触れてみる、徳川14代将軍と
その奥様となった女性の仲など
お話を色々と調べていきたいと思います。
女性の名前は和宮(かずのみや)
友人が言っていた、友人の誕生日と同じ日に
亡くなった方というのは、この方でしょう。
彼女は、当時の天皇である孝明天皇の
腹違いの妹として、要は皇女、姫様として
この世に生を受けたとのこと。
足が少し不自由であった、とされていますが
花や動物を愛でる、繊細な女性だったと
伝えられています。
皇室に生まれ、皇女様として生き、同じ
皇室の、有栖川宮熾仁親王という人と
幼い頃から婚約していました。
それが、どうして、徳川将軍に嫁いだか
というと、お兄様である孝明天皇からの
無茶ぶりだったとされています。
その当時、14代将軍である徳川家茂の
正室(本妻)に、年頃の皇女が和宮以外に
いなかったのです。
自分(孝明天皇)の娘で、まだ赤子である。
幕府がそれでいい、と言えばそうするが
不可の場合は、自分は責任を取り、譲位
せねばならなくなる。
それに、お前(和宮)にも責任という累が
及び、尼にでもなってもらわねば、筋が
通らない」
と、まあ、出家するか嫁ぐか選べという
無茶を言った、とされています。
和宮は御所で生まれ育った、生粋の皇女
であり、本当に泣いて、直接宮廷に
出向いて拒否したとも云われています。
ですが、最後には折れて、日本のために
いやいや、有栖川宮との婚約を白紙にして
将軍家に降嫁したのです。
この時、御所での生活というのを嫁ぎ先に
あわせて変えることだけはいやだ、と言って
色々と条件を出したとか。
そうして、本当にいやいやの泣く泣くで
徳川将軍家、ここに嫁いだ和宮ですが
彼女を待っていたのは、とてもいい人でした。
夫・徳川14代将軍の家茂(いえもち)との仲
将軍家、という武家に泣く泣く降嫁した
和宮ですが、その夫婦仲はとても円満だった
と、言い伝えられています。
それというのも、夫となった家茂将軍
彼がとても優しい、いい人だったから
という説が、あります。
歴代の将軍家には珍しく、和宮を
よく、気にかけたと云われています。
時には、手紙を書き、折に触れては贈り物を
したりと、彼女と夫婦として親しくありたい
そんな、姿勢を見せていたそうです。
涼しげな、硝子の鉢に泳ぐ金魚を贈ったり
と、動物が好きな彼女を気遣って、よくして
くれていたのでしょうね。
ですが、幸せな夫婦としてあれたのは
たったの4年だったそうです。
とあることがきっかけで、上洛した家茂が
大阪城で息を引き取ってしまったのです。
元々、丈夫な人ではなかったようですし
なにかと、ストレスもあったことでしょう
病状悪化して、亡くなられたとのことです。
家茂の最期の和宮への贈り物
それは、最後となった上洛の前のこと
家茂は京に行くにあたって、和宮になにか
欲しいものがあるか、と尋ねました。
家茂はこの時、江戸を出発する前は
まだ、元気だったと伝わっています。
なので、和宮は、こうお願いしたそうです。
「では、西陣織をお願いいたします」と
家茂にお願いして、彼を見送りました。
その後、家茂が息を引き取り、和宮に
訃報と遺品、そして、なんとお願いしていた
西陣織が届けられました。
おそらくではありますが、これから先なにが
起こるかわからない状況だったので、家茂は
京に着いてすぐ、購入したのではないかと。
そして、家茂の心遣いを知り、その愛情を
受け取った和宮は次のような歌を詠んだ、と
されています。
綾も錦も 君ありてこそ」
(西陣織を届けてくれて嬉しい、でも
この綺麗な着物も、あなたがいないのでは
どのような意味がありましょう?)
その後、西陣織は増上寺(将軍家の墓所)に
奉納され、袈裟に生まれ変わったそうです。
それの意味するところは、この着物を
自分(和宮)と思い、眠ってください
ではないか、とされています。
そして、家茂の逝去から11年後に和宮も
31と若くしてこの世を去りました。
遺言は、「家茂様のそばに葬ってほしい」
だったそうで、月日が経っても夫を
大切に思っていたようです。
なので、皇室生まれながら、和宮の葬式は
将軍家と同じ仏式で執り行われ、墓も
和宮の希望に副って、家茂の隣になりました。
そのご
将軍家、といえば冷めた夫婦というので
ある意味有名でしたが、家茂と和宮は
例外だったようです。
そのことを、友人に教えてあげると
「へー、そうなんだ、やっぱり仲良しで
円満だったんだー」と、納得していました。
今回、調べてみて、私も初めて知ることが
多かったですが、この夫婦というのは
なにやら、憧れるものがありますね。
和宮も結果としては、家茂に嫁いで
良かったのかもしれません。
多少、生活に不自由さは感じても
これだけ、想われて、愛されたのですから。
あなたも、歴史上の人物の夫婦仲に
興味がおありですか?
家茂と和宮夫妻は、結構、特別な例だとは
思いますが、まさにいい夫婦ですよね。
友人も、いい夫婦の日にはこのふたりの
ことを考えて、歴史を振り返ってみても
いいかもしれないと言っていました。
私も、また、機会があれば、歴史を
調べてみたいと思います。
あなたも、よかったら歴史ワールドに
どうぞ!